Life Key Word | New City Fellowship Church つくばライフ・チャペル

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古いものは過ぎ去った

2010-05-08

古いものは過ぎ去った

だれでもキリストのうちにあるなら、そこには新しい創造があります。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
第二コリント5:17

一日一日が去って行き、日々新たな一日が始まります。
キリストと共に生きる日々は、新しい創造の日々だと、聖書は言います。
神は、2010 年前に新しい創造の歩みのための道を備えて下さいました。
それゆえ、過ぎ去る一日一日は、キリスト共に十字架につけられ、完全に終わるのです。
かつての出来事、記憶、それらがどのようなものであったとしても、
終っていると、聖書は告げています。
私たちは、それらに別れを告げ、キリストにある、新しい創造の歩みをするよう、
招かれています。
平安がありますように!

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光によってもたらされた秩序

2010-05-08

光によってもたらされた秩序

初めに、神は天と地を創造した。
地は混沌(茫漠)であって何もなかった。
 闇が深淵の面にあり、神の霊が水の上を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」
こうして(すると)、光があった。
神は光を見て、良しとされた。
神は光と闇とを分けた(区別された)。
創世記1:1-4

永遠の初めに神は天と地を創られた時、地は混沌と空虚と闇でした。
創造の一番最初に、神は「光」を創られました。
この光によって混沌と空虚と闇であった地に、秩序がもたらされました。
この永遠の初めにキリストは神と共におられ、キリストは三位一体の神として、
すべてのものを創造されました。
約2010年前、キリストは、罪によって混沌と空虚と闇となった地に再び新しい創造の秩序をもたらすために、光としてこの地上に来られました。
闇の中に住む人類に「光を与える命(永遠の命)」をもって来られました。
こうして新しい神の創造の恵みが地に臨んだのです。
闇の業が勢いを増している現代において、光はクリスチャンを通してその輝きを強めようとしています。どんな暗闇も、この光を消すことはできません。
今、神の壮大な計画はよりスビードを上げて進んでいるのです。
平安がありますように!

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神の家族の誕生

2010-05-08

神の家族の誕生

主なる神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。
それは、主なる神が地上に雨をお送りにならず、土地を耕す人もいなかったからである。(※管理する人がいなかった。)
しかし、水が地下から湧き出て、土地の全面を潤していた。
主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、
その鼻に命の息(人の霊)を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。
創世記2:4-7

これが、神が愛する家族を誕生させた初めです。
神は「霊」です。人は、神の霊を分け与えられて「人」として誕生しました。
ですから、人の命の本質は「霊」です。
土地の塵で造られた私たちが「自己」を認識して自分の人生を生きるようになったのは、
神が私たちそれぞれに、神の家族の証として「個人の霊」を分け与えられたからです。
このように、私たちは、私たちに命をくださった父なる神なしに、また神の愛の保護なしに、生きていくように造られていません。
私たちがこの「愛の神」と出会い、その方を真に受け入れる時、私たちは的の合った意義ある人生、天の御国につながる人生を生きることができるのです。
平安がありますように!

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イエスが人間に生まれた理由

2010-05-08

イエスが人間に生まれた理由

神の子どもである私たちは、血も肉もある人間です。
そこで主イエスも、血肉を持った人間の姿でお生まれになりました。
それは、人間として死ぬ(死を通過する)ことにより、
悪魔という、死(滅び)の力を持つ者を滅ぼし、
(死の権力をふるう悪魔の力を打ち砕き、)
また、死に対する恐れのために、一生涯、恐怖の奴隷となっている人々を、
全て救い出す(解放する、全く自由にする)ためでした。

平安がありますように!

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永遠に立つ神のことば

2010-05-08

永遠に立つ神のことば

草は枯れ、花はしぼむ。
だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。
イザヤ40:8
この天地は滅び去ります。
しかし、わたしのことばは決して滅び去りません。
マタイ24:35

美しく麗しい地球、そこに置かれた創造の秩序、生命の営み。
その神秘は私たちにとって想像を超えた奇蹟以外の何ものでもありません。
すべては、神の麗しさ、神の栄光を現し、その輝きは神の喜びを現しています。
サタンは神の代理人として立てられた人を騙し、麗しい神の秩序に混乱を持ち込みました。
サタンの欺きのもとで生きる私たちには、絶えず混乱が付きまとっています。
それゆえ、私たちは地上の人生においてあらゆる困苦、不条理を味わっています。
私たちは両親を選ぶことも、環境・状況も選ぶことができずこの世に生まれて来ます。
本来祝福であるはずの命の誕生が、不条理の渦のただ中に誕生してしまうのです。
天の父は、そのことを私たち以上にご存知です。
だからこそ、神は、私たちが聖書のことばを通して、私たちの父であり、創造主である方の心、御思いが何であるかを知ることができるようにして下さいました。
神である父の愛に信頼し、決して滅びることのない、永遠に立つそのお方のことばに信頼し、何があっても父のことばに堅く立ち続けていく時、
人類が背負い続けて来た混乱の現実、今まさに私たちが味わっている不条理の現実が神のことばの前にひれ伏し、神の秩序に支えられ、祝福をもたらす神の現実へと、その姿を回復していくのを私たちは見るようになるのです。
今日の聖句を心に充満させましょう。
平安がありますように!

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感謝の原理

2010-05-08

感謝の原理

感謝(感謝の歌)を持って主の門に進み、賛美しつつ、その大庭に入りなさい。
主に感謝を捧げ、その御名をほめたたえ、愛を込めて賛美しなさい。
詩篇100:4

キリストの思考を持つ人は、他者についても、自分自身やその境遇についても肯定的に考え、また建設的で徳を高める考え方をします。
キリストの思考を持つ人は、その生活が賛美と感謝で満ちていることに気づくと思います。
なぜでしょうか?
キリストの愛の十字架と復活の恵みの中に生き、喜びが生きる原動力となっているからです。
一方で、不平不満が、どれほどキリストの十字架と復活の恵みを否定し、
敵(悪い流れ、悪魔)に幾つもの扉を開いてしまうかを知っているからです。
喜びがなく、心のどこかに怒りと反感が渦巻いているような日々、夢も希望も見出せない無気力な日々、自分の不遇を哀れむ日々・・
クリスチャンは、感謝することなしには生きていけません。
感謝なしに力強い生活を送ることはできません。
感謝を捧げることは、私たちの内側で圧迫し閉ざしている神の喜びを解き放ち、
不平不満をやっつける唯一の道です。
聖書は繰り返し、感謝の原理を教えています。感謝し、それを言い表すのは命の原理です。
あらゆる時、あらゆる状況下において、神の主権を認め、全てのことに対して感謝を込めて賛美を捧げていく時、神ご自身が勝利を成し遂げて下さることを知るでしょう。
平安がありますように!

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鍛錬による義の実

2010-05-08

鍛錬による義の実

およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になると、それで鍛え上げられた人々に、(意図、思想、行為の各面で神の御心に合致するという)平安に満ちた義の実を結ばせるのです。
ですから、弱った手と衰えた膝とを、真っ直ぐにしなさい。
また、あなたがたの足のためには、真っ直ぐな(正しい方向に通ずる安全な)道を切り開きなさい。足の不自由な人も関節をはずすことのないため、いやむしろ、癒されるためです。
ヘブル12:11-13

12-13節の意味 (D.ウィルカーソン)
「だから、落ち込み続けてはならない。立ち上がって、あなたの信仰のために戦いなさい。
 主にある信頼を働かせなさい。痛みや震える膝に負けてはならない。
 その代わりに走り続けなさい。もしも、あなたが怖れや心配に屈服するなら、
 あなたの信仰はだめになってしまうかもしれない。」
平安がありますように!

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嵐の中におられるイエス

2010-05-08

嵐の中におられるイエス

ある日のこと、イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われた。それで弟子たちは舟を出した。
舟で渡っている間にイエスはぐっすり眠ってしまわれた。
ところが突風が湖に吹き降ろして来て、彼らは水をかぶって危険になった。
弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、おぼれて死にそうです」と言った。
イエスが起き上がって、風と荒波を叱りつけると、静まってなぎになった。
イエスは、「どうしてそんなに怖がるのか。あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。
ルカ8:22-25

イエス様は、弟子たちの信仰を試されました。
弟子たちはイエス様の命じられたことばに従って舟に乗り、漕ぎ出しました。
舟にはイエス様が乗っておられました。舟はイエス様によって導かれ、
神様によって守られていたので、沈むはずがなかったのです。
これは人生の嵐の中で私たちを支える信仰の最も根本的な要素です。
私たちも信仰で踏み出そうとする時には、必ず神様からのことばが必要です。
イエス様は聖霊によって私たちの中におられます。私たちと人生を共にして下さっています。
イエス様は私たちを決して見捨てたり、見放したりしないと約束されました。
イエス様は私たちに「わたしだ。安心しなさい。怖がることはない。」とおっしゃっているのです。
平安がありますように

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矢筒の中の守りと準備の時

2010-05-08

矢筒の中の守りと準備の時

・・遠い国々の民よ。耳を傾けよ。
主は、生まれる前から私を召し、母の胎内にいる時から私の名を呼ばれた。
主は私の口を鋭い剣として、御手の陰に私を隠し、私を研ぎすました(尖らせた)矢として、矢筒の中に私を隠した。
そして私に言われた。「あなたはわたしの僕、イスラエル。わたしはあなたのうちにわたしの栄光を現す。(あなたによってわたしの輝きは現れる。)」
私は思った。
「私は無駄に(いたずらに)骨折り、いたずらに(虚ろに)、空しく、力を使い果たした。それでも、私の正しい訴えは、
主と共にあり、(私を正しく裁いてくださるのは主であり、)私の働きに報いてくださるのも私の主である。」
イザヤ49:1-4

あなたは今、どのような環境・状況におられますか。
私の訴えは見過ごしにされていると、そのような思いに折れそうになる心を必死抱えて、
それでも尚、疲れた心に主を見上げよと、言い聞かせている日々でしょうか。
この聖句は、そのような私たちに慰めと確かな希望を与えるものです。
私たちの人生には生まれる前から神のご計画があります。
私たちがクリスチャンになって、そのご計画の道を歩みたいと願い始めると、
神は私たちに十字架の道を通るようにされます。
ヨセフやモーセやヤコブやダビデがそうであったように、
私たちが完全に神のものとなり、神のご計画が私たちの人生を通して輝き出るために、
自己中心で、神に反抗し、自分の義をもって神の座に着きたがる私たちの「肉」(※1)を
十字架につける作業をされます。
私たちはその取り扱いのただ中で、「肉」の持つプライド、自己義のゆえに、
深く傷つきます。
あまりの心の痛さ、あまりの惨めさ、あまりの恥意識、あまりの悔しさ、あまりの深い失望に激しく怒り、また恐れおののいて・・叫び声を上げて神に訴えます。
「いったい私が何をしたというので、こんなことを許されるんですか!」
預言者エリヤも神に訴えました。
「もういいです! 疲れ果てました。死なせてください。」
しかし神の守りの中で、彼が「十字架の死」を通り、完全に主の僕とされた時、
その生き様を通して、神の永遠のご計画が人々の前に栄光の輝きを放ちました。
あなたが神の御心の道を歩みたいと願ったなら、神はすでにその道へ導いておられます。
今、あなたは神の愛の御手で「肉」の取り扱いを受けているのです。
今は、ただ辛く苦しいだけかもしれません。
しかし神は、私たちを整えて完全に神のものとして、神の時に用いるために、
私たちを神の御手の陰に、また神の矢筒の中に隠し、私たちを鋭い剣として、
また矢として研ぎすましておられます。
辛く苦しいですか?でも安心してください。
あなたは神の矢筒の中に隠され、守られ、準備の時を過ごしているのです。
あなたが報われる神の時が刻々と近づいていることを覚えましょう。
平安がありますように!

(※1)神を知らずして生きていた、かつての古い考え方、生き方、反応のパ
  ターン。また、神を知っていても、神をないがしろにして生きてきた、
  生まれつきの自己中心の考え方、生き方、反応のパターン。
  「肉」の本質は、「高慢、高ぶり、プライド」です。

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十字架につけられた肉

2010-05-08

十字架につけられた肉

しかし、キリスト・イエスのものである人たちは、
肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。
もし私たちが聖霊によって(聖霊の導きに従って)生きているなら、
聖霊によって(導かれて)前進しましょう。
虚栄(うぬぼれ)に陥って、互いに挑み合ったり、
ねたみあったりすることのないようにしましょう。
ガラテヤ5:24-26
キリストは神の御姿である方なのに、・・
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、・・
へりくだって(ご自身を低くして)、死に至るまで、
それも十字架の死に至るまで従順になられました。
それゆえ神は、キリストを(最高峰まで)高く引き上げ、
あらゆる名にまさる名を彼にお与えになりました。
ピリピ2:6-9

古い生き方が築いた私たちの肉は、傷だらけで、痛みや恥や劣等感、孤独感や恐れや欲求不満に満ちています。
私たちは様々な種類のパフォーマンスで、そうした自分を守っています。
それは、自分の才能や能力であったり、偽善的な行ないであったり、批判や非難による攻撃であったり、虚栄であったり、言い訳であったり、自分を哀れむことであったりします。
またそれは、誰かのせいにすることであったり、頑なになることであったり、挑み合い、従わせることであったり、諦めて傍観者になることであったりします。
パフォーマンスの根はプライド(肉そのもの、真理からはずれた自分の義)です。
プライドは自己欺瞞によって自分を取り繕い、守ろうとします。
しかし、「肉は十字架につけられた」「肉は十字架でキリストと共に死んだ」と真理は言います。(参考:ローマ6:4-7、ガラテヤ5:24)
私たちは肉に騙されないようにしなければなりません。
肉が疼いて反応するとき、その疼きの感覚、反応を重大に考え過ぎてはなりません。
すぐに十字架もとに行き、「私の肉よ。十字架を見なさい。お前は死んでいる。」と告げましょう。
神の祝福の扉は、十字架を見上げ、肉に死を宣言した時から、開かれていきます。
平安がありますように!

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霊と真理による礼拝

2010-05-08

霊と真理による礼拝

しかし、真の礼拝者たちが霊とまこと(真理、真実)によって、父を礼拝する時が来ます。
今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。
神は霊(霊的実在者)ですから、神を礼拝する者は、
霊とまことによって礼拝しなければなりません。
ヨハネ4:23-24

「霊」とは、聖霊によって新生した個人の霊。
「まこと」とは、聖書が語る真理、真実。
私たちの「魂」には、罪人として生きたかつての負の遺産、「神を認めず、神を中心とせず、人間(自分)を中心とした生き方、考え方、情緒のパターン」
すなわち、
「肉」が蜘蛛の巣状にしかも何重にも絡み付いています。
「肉」は性質上、神の真理に逆らいます。
従って「肉」は、真理に従おうとする「新生した個人の霊」を黙らせ、
絶えず、「魂の中心である自己」を扇動して、「肉の満足する」ような偽りの礼拝、すなわち、パフォーマンスとしての礼拝へ向かわせようとします。
真の礼拝者であるということは、私たちの「自己」が「魂」(※1)に対してしっかりとリーダーシップを取るということです。
「自己」が、天の父なる神にしっかり焦点を定め、「真理に従う個人の霊」に「魂を従わせる用意」を持つならば、聖霊は「自己」を助けて、「肉」のゆえに反応する「魂」を黙らせ、
霊とまことによる礼拝へ導いて下さいます。
平安がありますように!

(※1)「魂」には、知(知性、思考、意思)、情(感情、情緒)、意(意志、意思
   決定)があり、自己を認識し、また聖霊の導きと外界の情報によって、
   体の行いを決定・指示する所です。

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決して遅延しない神の約束

2010-05-08

決して遅延しない神の約束

主よ。私が助けを求めて叫んでいるのに、
いつまであなたは聞いてくださらないのですか。
・・なぜ、あなたは私に、災いを見させ、労苦を眺めておられるのですか。
・・私は見張り所に立ち、砦の上に立って見張り、神が私に何と語り、
私の訴えに何と答えられるかを見よう。
主は私に答えて言われた。
「板に幻(答え)を書いて確認せよ。走りながらでも読めるように
(それを見る者がひと目でわかり、他の者にすぐ伝えられるように)
板の上にはっきりと記せ。
この幻は、定めの時を証言しており、終わり(定め)の時をひたすら求めている。
(今すぐには起こらない。しかし確実に実行に向かっている。)
偽りを言ってはいない。それは、主であるわたしが語り、わたしが語ったことを実現し、決して延ばさないからだ。
たとえ、遅くなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない。
(遅いように思えても、失望するな。必ず計画通りになるのだ。忍耐して待て。
ただの一日も遅れることはない。)

平安がありますように!

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憐れみを受けている神の民

2010-05-08

憐れみを受けている神の民

あなたがたは、かつては神の民ではなかったのに、今は神の民であり、かつては憐れみを受けない者であったのに、今は憐れみを受けているのです。
第一ペテロ2:10

神は、私たちを選んで「神の所有の民」(2:9)されました。
神はいない、神の憐れみなどないと愛の神を否定する暗黒の世界に居住していたために、
神の憐れみを受け取ることがありませんでした。
しかし今は、イエスによって神の国に移され、居住し、尽きることのない神の愛と憐れみを
受けている者です。
どんな試みの時にも、イエスを信じる者は神の子どもであり、神の憐れみを受けている者で
あることを思い出して下さい。
神の愛の御手が決して敵(悪い霊的な流れ)の思い通りのままにはさせません。
平安がありますように!

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輝き出る復活のいのち

2010-05-08

輝き出る復活のいのち

「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、私たちの心の内を照らし、
イエス・キリストの御顏に輝く神の栄光を悟る光(福音の聖い光、永遠の命、復活の命)を与えてくださいました。
私たちはこの尊い宝を土くれ(肉)の器の中に納めています。
それは、その力の偉大さが神のものであって、
私たちのものではないことが明らかになるためです。
私たちは四方八方から圧迫されても、(あらゆる面で苦しめられても、押し付けられても)窮する(押しつぶされる)ことはありません。
当惑し、途方にくれ、出口を見つけることができなくても、
行きづまること(絶望に追いつめられること)はありません。
迫害されても(追われても)、見捨てられる(ただ一人になる)ことはありません。
打ち倒されても、決して打ちのめされません(滅ぼされません)。
いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが(日々、肉の死の成就という道を歩んでいますが)、それは、イエスの(復活の)命が、私たちの身において明らかに示されるためです。
第二コリント4:8-10

肉の死を通して私たちの身に復活の命が輝き出ます。
その命こそは、私たちがどのような状況にあっても、打ちのめされるようなことは決してさせません。
平安がありますように!

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十字架は神の力の現れ

2010-05-08

十字架は神の力の現れ

「イエス様は私たちを救うために死んで下さった」という十字架による救いの言葉は、滅んでゆく人々には全く愚かでばかばかしいものですが、
救われた私たちにとっては、神の力(の現われ)そのものです。
なぜなら、「わたしは知恵ある者(学者たち、哲学者たち)の知恵(学問)を無益にし、賢い者たちの知恵(判断力)を無効にする」と書いてあるからです。・・
事実、この世があらゆる地上的な知恵を持っていて、それらを結集しても、
神を見出せない(知り認めることができない)のは、神の知恵(考え)によるのです。
それで、神は(十字架による救いを)宣べ伝えることの愚かさを通して、
(イエス様を)信じる者を救おうと定められたのです。・・・
あなたがたがイエス様の中に自分のいのちを持っているのは、神から出たことなのです。
イエス様は、私たちとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、あがないとになられました。

平安がありますように!

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私たちを守る御使い

2010-05-08

私たちを守る御使い

主はあなたのために、御使いに命じて、
すべての道で(あなたの道のどこにおいても)、
あなたを守るようにされる。
彼らはあなたを支え(その手にのせて運び)、
あなたの足が石に打ち当たらないようにする。
詩篇91:11-12
御使いはみな、救いを受け継ぐべき人々を助ける目的で、
神に奉仕するために遣わされた、仕える(しもべの)霊ではありませんか。
ヘブル1:14

御使いは、私たちを助け、守るために、神から遣わされています。
かつて御使いガブリエルは、ダニエルの祈りに応えて、神の重要なことばを告げるために派遣されました。
そして、恐れる彼に、「神に愛されている人よ。恐れるな。安心しなさい。強くあれ。強くあれ。」と、励ましました。
またイエス様の誕生に関わる多くの人々に、御使いたちが派遣されました。
御使いミカエルは、私たちと一緒に様々な問題や困難に立ち向かってくれると、聖書は言っています。(参考:ダニエル10:21)
実にたくさんの御使いたちが、日常のあらゆる領域で私たちのために働いています。
実際、危険が迫った時、「イエス様、助けて!」と叫んだ瞬間に、御使いに救出されたという数多くの報告があります。
御使いたちは、職場で、通勤電車の中で、行き交う人ごみの中で、また運転中も、家で過ごす時も、
また戦闘の最中にあっても、死の床にあっても、礼拝を捧げる時も、賛美を捧げる時も、
いつでもどこでも、神の子どもたちの周りにいて見守り、助け、仕えています。
これらの聖句を心の中で思い巡らしてください。あなたを勇気づけ、感謝に溢れさせてくれるでしょう。
平安がありますように!

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あなたは神を愛する者

2010-05-08

あなたは神を愛する者

イエスは三度ペテロに言われた。
「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」
ペテロは、イエスが三度
「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、
悲しくなってイエスに言った。
「あなたは一切のことをご存知です。あなたは,私があなたを愛することを
知っておいでになります。」
ヨハネ21:17

主イエスは、復活してすぐに、ペテロの所に行かれて、
ペテロが主の前に何者であるかを正しく告白するように導かれました。
ペテロの信仰の始まりは、神への献身を成し遂げることができた自分の能力と、
自分は神のために何ができるかということに、自分の存在価値を見出していました。
自らも気づいていなかったその高ぶりのゆえに、彼はつまづき、失敗しました。
自分の弱さに直面して、今度は、自らに失敗者、失格者という烙印を押し、
恥と失敗のうちに自分の存在価値を見出していました。
しかし主は、彼に真のアイデンティティーをお与えになり、
ペテロの傷ついた存在価値を回復されました。
それは、私たちが肉の弱さのゆえにどれほどつまづこうとも、
私たちの真のアイデンティティーは、「あなたは神に愛され、あなたは神を愛する者」
だということです。
主イエスはこの事実をペテロに確信させました。
あなたは神に愛されています!
あなたには神への真実な愛があります!
平安がありますように!

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勝利者イエス

2010-05-08

勝利者イエス

あなたがたは、世にあっては患難があります。(患難:試練、困苦、挫折、窮乏)
しかし、勇気を出しなさい。(堅く信じて、確信を持ち、臆せずにいなさい)
わたし(イエス)はすでに世に勝っています。
(世から害する力を奪い取り、世を征服しています)
ヨハネ16:33

失望することは多々あるでしょう。ですが、絶望はありません。
私たちには「勝利者イエス」という希望があります。
ローマ8:37では
「しかし、これら一切のただ中においても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは輝かしい勝利を収めています。」と宣言しています。
これらの希望の聖句を心に充満させましょう。
平安がありますように!

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クリスチャンの土台

2010-05-08

クリスチャンの土台

クリスチャンのアイデンティティー
1.私は神に愛されている者である。ゼパニヤ3:14-17,雅歌8:6-7
2.私は神を真実に愛する者である。ヨハネ21:15-17
3.私は清い者である。ゼカリヤ3:1-5,ヨハネ13:5-10,ヘブル10:22
4.私は神の子どもである。ヨハネ1:12-13,ローマ8:15-16
5.私は神の国の相続者である。エペソ1:3-14,ヤコブ2:5
6.私はキリストの花嫁である。雅歌4:7-16,雅歌8:6-7

日々、この土台に立ちましょう。
平安が与えられ、自分を見失うことがなくなり、余裕が生まれます。

あなたが神に応答したとき、不義に汚れた衣を脱がされ、霊的晴れ着(聖い衣)を
着せられました。
あなたが感じようと感じまいと、あなたは神の聖なる子どもとされています。
完成に向かって日々成長しています。

神は、地上の歩みにおけるあなたの必要をすべてをご存知です。
あなたは必要とする全てのことについて、神に要求することができます。
あなたが神の国の相続者だからです。実際にあなたが手にするまで、感謝をもって、
神が必要を与えて下さると、告白し続けましょう。
もちろん、あなたの側でも必要のために賢明なる最善を尽くさなければなりません。
このようにして、神の最善を待ちましょう。
平安がありますように!

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最も尊い礼拝

2010-05-08

最も尊い礼拝

災い(悩み)の日には必ず、主は私を隠れ場に隠し(潜ませ)、
その幕屋の奥深くに隠してくださる。
私を岩の上に立たせ、群がる敵(困難や問題の数々)の上に
私の頭を高く上げさせてくださる。
私は主の幕屋で喜びのいけにえを捧げ、主に向かって賛美の(誉め)歌を歌おう。
詩篇27:5-6

私たちの置かれている状況がどんなであっても、
主権をもって治めておられる神を認め、その方の愛と真実を認め、
感謝をもって神を賛えていく時、私たちはいけにえ(犠牲)を捧げているのです。
神はこのいけにえを最も尊い礼拝としてお受けくださり、
偉大な御力をもってあらゆる困難や問題を制し、
私たちをはるか高くに上げてくださいます。
平安がありますように!

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律法ではなく恵みによる義

2010-05-08

律法ではなく恵みによる義

なぜなら、律法を実行することによっては、誰一人神の前で義とされない(認められない)からです。
律法によっては、罪の意識しか生じないのです。
しかし、今や律法とは関係なく、・・神の義が示されました。
すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる全ての者に与えられそこには何の差別もありません。
人はみな、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、
ただキリスト・イエスによるあがないの業を通して神の恵みによる無償で義とされる(認められる)のです。
ローマ3:20-24

「律法」とは、「モーセ五書」に書かれてある、神から与えられた法律。
神の正義の基準を示し、守ることが要求される。
一つでも守ることができなければ、罪を犯したことになる。

天国には、義人(神の聖なる正義を完全に全うした人、律法を完全に全うした人)しか行くことができません。
もともとが罪人である私たちは、どんなに自分の善い行いによってがんばっても、
神の律法を全うすることなどできません。
むしろ到達できないがゆえの罪意識と自責の念で苦しむことになります。
そもそも罪人は自力では天国には行けないのです。
神は私たちを義人として下さるために、イエス・キリストの十字架のあがないによって
罪の源を無力にし、死をもって律法を完全に成し遂げて下さいました。
ですから、私たちはこのことを信じ、受け入れるだけで、私たちは義人と認められるのです。
新約聖書の言葉は律法ではありません。
平安がありますように!

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宗教ではなく命の福音

2010-05-08

宗教ではなく命の福音

パリサイ人や律法学者たち(宗教家たち)がエルサレムからイエスのもとへ来て言った。
「あなたの弟子たちは、なぜ昔の長老たちから伝わっている規則を破る(そむく、違反する)のですか。彼らは食事の前に手を洗いません。」
そこで、イエスはお答えになった。
「なぜ、あなたがたも、自分たちの言い伝え(規則、戒律、きまり)のために
神の戒めを犯すのですか。・・あなたがたは、自分たちの言い伝えによって神のことばを無にしている。(神のことばから力と権威をはぎ取り、無力なものにしている。)
偽善者たち、イザヤはあなたがたについて見事に真実を預言している。
『この民は口先でわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。
人間の戒めを教えとして教え、虚しくわたしをあがめている。』
・・すると弟子たちが来てイエスに言った。
「パリサイ人が今のおことばを聞いて、腹を立てたのをご存知ですか。」
(感情を害して憤慨・激怒した、つまづいた)
・・「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、ことごとく抜き取られてしまいます。
・・彼らは盲目の案内者です。盲人が盲人を道案内すれば、2人とも穴に落ちてしまいます。」
マタイ15:1-14

この箇所でイエス様は最も重要なことを教えています。
私たちは、イエス様の十字架の死によって成就した「命の福音」を信じているのであって、
宗教家の作り出した宗教を信じているのではありません。
つまり、聖書の真理を宗教家たちにとって都合の良いように作り変え、
内面の心の態度がどうであれ、規則や戒律、儀式、きまりを守り行なって、
それらの行いの数が積み重なれば、善い人間だと認められ、それを続けていけば、
いつかきっと救われる、ということを信じているのではないということです。
宗教家の決めた戒律を守らなければ救われないとする宗教は、怖れや罪責感や圧迫感を
与えます。
なぜなら、宗教には、愛も赦しも和解もありません。
戒律を守ることだけが要求されます。どんなに努力しても要求を全う出来なければ、
罰を受けるしかないのです。それが宗教の本質です。
ですから宗教は私たちを追い詰め、行ないに駆り立てるのです。
それは「脅し」であり、呪縛です。
宗教家は人々から神のようにあがめられることを渇望する野心家にすぎません。
彼らは長い間救い主を待っているうちに、自らを神の座に置く宗教の教祖に成り下がってしまったのです。彼らは自らの高慢のゆえに、サタンに覆いをかけられ、「命の福音」に対し盲目にされました。
「命の福音」は、イエス様の命の犠牲によって私たちに届けられました。
これは、私たちの自己努力による行いによって得るものではなく、
すでにすべての人間に神の側から一方的に提供されている「恵み」です。
私たちはその恵みを信じて受け取った者です。
「命の福音」は宗教の呪縛から私たちを解放します。
そのために真理の御霊が私たちを助けてくださいます。
宗教から自由にされた私たちは、神を賛美せずにはおられません。
あなたは宗教から解放されていますか?
平安がありますように!

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永遠のいのちを与えるキリスト

2010-05-08

永遠のいのちを与えるキリスト

神は、実にその独り子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世(あなた)を愛された。
それは、誰一人も滅びないで、御子キリストを信ずる者が永遠のいのちを得るためである。
神が御子を遣わされたのは、世を裁く(断罪する)ためではなく、御子によって世が(永遠の滅びから)救われるためである。
ヨハネ3:16

「永遠のいのち」とは、死によって灰と化する「生物学的な命」ではなく、
「イエス・キリストの霊的ないのち」です。
永遠のいのちは、実り豊かな人生を送るために、また地上の人生を終えた後、
永遠に過ごす天の御国において、栄光の輝きに満ちた神と共にある新しい日々を生きるために、なくてはならない必須のいのちです。
天の父なる神は、私たちが新しい霊的ないのちを持ち、神の子どもとなることを願っています。そして、神に愛されている子どもとしての自分に誇りを持ち、
揺るぐことのない天国への希望と確かな目的を持って、豊かな実を結ぶ人生を送ることを望んでおられます。
私たちが死後、永遠に過ごす場所は、天の御国か悪魔の国(地獄)のどちらかしかありません。
聖書はこのことをはっきり伝えています。
イエス・キリストは、私たちを永遠の滅びから救うために天の父なる神から遣わされました。
今、このことを信じて受け入れるなら、永遠のいのちをいただくことができます。
実り豊かな人生へ導かれます。天国のいのちの書にあなたの名前が記されます。
聖書はあなたのために、天の父(神)の愛と救いを伝えるために書かれたスーパーホットラブレターです。
天の父の度重なるこの熱いラブコールにあなたの人生を任せてみませんか。
平安がありますように!

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私を離さない神

2010-05-08

私を離さない神

私の心が苦しみ(騒ぎ)、私の内なる思いが突き刺されたとき、
私は、愚かでわきまえもなく、あなたの前に獣のようでした。
しかし、あなたは私の右の手をしっかりと捕らえて下さったので
私は絶えずあなたとともにいることができました。
(あなたが私の右の手を取って下さるので、
常にあなたのみもとに留まることができます。)
詩篇73:21-23

平安がありますように!

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私たちを生かす聖霊

2010-05-08

私たちを生かす聖霊

こういうわけで、今やキリスト・イエスに属する人は、有罪の宣告を受けることがありません。なぜなら、いのちを与える御霊の力(法則)が、
罪と死の悪循環(法則)から解放してくれたからです。
ローマ8:1-4,12

神様のおきて(律法)を知っているだけでは、罪の支配から救い出されません。
私たちは、(生まれつきの古い邪悪な性質≒肉のゆえに)それを守ることもできないし、
(守っている振りをして)実際守ってもいないからです。

ところが、神様は私たちを救うために、別の計画を実行に移されました。
すなわち、神様のひとり息子(御子)を、私たちと同じ体を持つ者として
この世にお遣わしになったのです。

そして、彼を私たちの罪のいけにえ(犠牲)として、(私たちに代わって罪の刑罰を受け、)
私たちをがんじがらめにする罪の支配を、打ち砕かれたのです。
(罪を処罰したのです。)
ですから、今や私たちは、古い邪悪な性質(肉)の言いなりにならず、聖霊様に従って歩むなら、神様のおきて(律法)に(自然に)従えるのです。(律法の要求が全うされるのです。)

ですから、愛する皆さん。あなたがたの古い罪深い性質(肉)がどんなことを
要求しても、それに応ずる必要は全くありません。
もし肉の要求に応じ、それに従い続けるなら、道に迷い、やがて滅びるしかありません。
しかし、もし聖霊様の力によって、(肉に従おうとする)体の邪悪な行いを絶つなら、
あなたがたは生きるのです。(リビングバイブル参考)
平安がありますように!

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私の道を完全にされる神

2010-05-08

私の道を完全にされる神

神、その道は完全。主のみことばは純粋。(火で練り清められている。)
主はすべて彼に身を避ける(寄せる)者の盾(となって下さる)。
まことに、主のほかに誰が神であろうか。
私たちの神を除いて、誰が岩であろうか。(私たちの実存の根源、根拠、理由となる方は私たちの神以外にない。)
この神こそ、私に力を帯びさせて私の道を完全にされる。
彼は私の足を雌鹿のように速くし、私を高い所に立たせて下さる。
戦いのために私の手を鍛え、私の腕を青銅の弓をも引けるようにされる。
(引く力を帯びさせて下さる。)
詩篇18:30-33

平安がありますように!

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報いてくださる神

2010-05-08

報いてくださる神

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。
神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いて下さる方であることとを、信じなければならないのです。
ヘブル11:6

この世の必要もみな、祈りの中で主の前に持って行きましょう。
願いを述べるだけでいいのです。・・
すぐに祈りがきかれなくても、失望してはなりません。
あきらめずに忍耐をもって信じ祈り続け、主を待ちましょう。
祈ったことが本当に善となり、主の栄光となることに確信を持ちましょう。
主イエス・キリストの尊いみわざを根拠にして疑うことなく信じていれば、
ついには祝福を得るようになります。
・・また、答えの与えられる時や状況を自分で定めたりすることなく、
祝福が与えられるまで祈り続けるべきです。
祈って行く中で、絶えず忍耐が試されます。
答えられるまで、祈りの答えを注意深く求め、期待すべきです。

◉祈り
天の父なる神様。私は心と魂の限りを尽くしてあなたを信じます。
イエス様の御名によってあなたにお願いします。
私の願いや考えをはるかに越えて、
あなたは豊かにお与えになることができます。
今、祈りの答えを待ち望んでいます。
どうか、私を忍耐強くし、
信仰が揺り動かされることのないように助けて下さい。アーメン。
(ジョージ・ミュラー「信仰」)
平安がありますように!

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新しい始まり

2010-05-08

新しい始まり

以前のことを(一生懸命に)思い出してはいけません。
古いことも思案してはいけません。
見なさい。わたし(神)は新しいことをしています。
今、もうそれが起ころうとしています。(今、それが湧き上がります。)
あなたがたはそれに気づき、悟り、それに注意しないのですか。
わたしは荒野に道を、砂漠に川さえ設けるのです。
イザヤ43:18-19

平安がありますように!

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