新しい人生を踏み出すためには?
地上の人生を終えた後に過ごす永遠の住まいを決めなければなりません。
聖書は私たちに、人生は地上だけで終るのではなく、その後に永遠に過ごす場所があることを教えています。天国と地獄(父なる神と完全に断絶した、恐怖と苦痛の場所)です。それは架空の場所ではなく、実際に存在する場所です。
天の父なる神は、私たちが永遠の住まいを天国で神とともに過ごせるよう、また地上の人生が祝福された日々となるよう、イエス・キリストを通して「永遠の命」を得なさいと言っています。
「神は、実に、その独り子をお与えになったほどに、世(あなた)を愛された。それは御子を信じる者が、一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3:16)
「わたしは道であり、真理であり、命なのです。わたしを通らなければ、だれも父のもと(天国)に行くことができません。」(ヨハネによる福音書14:6)

「独り子、御子、わたし」は、イエス・キリストのことです。神は、全ての人が、神から遣わされた救い主イエス・キリストを信じて、永遠の命を持ち、神に祝福された人生を歩み、天国に行くことができるようにと切望しておられます。
罪とは何かを知り、自分の中の罪を認め、罪から救い出される必要があることを認めましょう。
人類の歴史を振り返ってみる時、人々の平和への切実なる願いとは裏腹に、どの時代にも数え切れないほどの、野心や狂気に満ちた残酷な殺戮(さつりく)の歴史があります。たとえ直接手を下さなくても心の中の激しい怒りや憎しみや復讐心によって、人と人、民族と民族、国と国の間には争いが絶えることはありません。
もしあなたや私が善意に満ち、成熟した素晴らしい人格者であったとしても、正直に心の中を探って見るならば、その心の奥に深い闇が潜んでいることに気づかれるのではないでしょうか。
この闇の王座には、「自分こそが正義」という旗印を持った「自我」が着座しています。私たちの中には、自分流の自己正義(善悪の価値規準)に立つ自我の王国が存在するのです。

つまり自分が神のようになって、善と悪を定め、自分のやり方で、自分の思いのままに全てのものを治め、支配したいと願う強烈な自己中心性を持つ自我が私たちの中に存在します。
神の愛によって生きるように創造された人間が、天の父なる神の愛と保護を拒絶し、自己正義をもって神に対抗、反抗して独立独歩で生きようとする、この自己中心(高慢)の性質を聖書で「罪」と言っています。つまり罪は私たちの内側に存在し、私たちの思いを支配し、人類の歴史が始まって以来今に至るまで、あらゆる悪を生み出している根源なのです。
聖書のマルコによる福音書7章21~23節には、次のように書かれています。
「内側から、すなわち、人の心から出てくるものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」
人類の歴史とともに、人類の自己中心の罪の連鎖が負の力を増大させ、世界全体の秩序に、私たちの人生に深刻で理解しがたい不条理をもたらしてきました。罪は、天の父なる神から受けていた全ての良きもの、愛、赦し、和解、感謝、平和、喜び、優しさ、温かさ、勇気、希望、信頼、繁栄といったものを、今も私たちの人生から奪い取り、また破壊し続けているのです。

自己正義という名のもとに、「自我」に執着させ、不幸へと追い込んでいく罪の力に対して、私たちがどんなに努力し、修行し、がんばっても治めることも、逃れることもできません。罪の深刻さに圧倒されてしまうだけです。聖書は、罪の問題を放置しておくと、私たちの人生において永遠の滅びに向かわしめる悪の力が働くと教えています。世界の歴史はそのことを如実に物語っています。罪の結末は永遠に神との断絶です。それは地獄(ハデス、ゲヘナ)での永遠の苦しみを意味します。私たちは自分の内にある罪の問題から救い出されなければなりません。


